【明治】神風連の乱と小林マシ子㊤

 神風連の乱は、明治9年(1876年)10月24日に起きた。小林恒太郎の妻・マシ子はこの年の3月に19歳で嫁いできたばかり。わずか半年余りの結婚生活だった。 続きを読む

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【室町】上野介の憂鬱

 明徳の乱(1391年)の緒戦で討ち死にしてしまう小林上野介(上野守)は、幕府軍が陣取る内野に攻め込む前に、桂川で味方であるはずの丹波勢と戦っている。明徳の乱で起きる数多くの誤算の中で、最たるものだったと思う。「明徳記」でも触れられていないので推測となるが、上野介は丹波勢を吸収して決戦場に向かうはずだったのではないか。だが、実際に目に飛び込んできたのは、幕府の陣営に投降する久下、中沢の軍勢の姿だった。この時点で、上野介には勝機が見出せなくなったに違いない。 続きを読む

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【事典】内野

 平安京の北部中央に位置する「平安宮」を指して大内裏と呼ぶ。東西約1.2キロ、南北約1.4キロの範囲に宮殿と諸官衙が整然と建ち並んでいたが、たび重なる火災で、安貞元年(1227年)の焼亡後は皇居は再建されず、周囲の諸官庁の打ち捨てられるようになっていた。この荒廃した大内裏の跡地が内野である。 続きを読む

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【事典】山名高義

 山名時氏の九男。「続群書類従」第百十五によると、山名氏清に養われ、修理亮となる。元中八年十二月、氏清に組し、京師に戦死す、と記録されている。 続きを読む

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【事典】山名満幸

 山名師義の四男で、叔父の氏清の娘を妻にしている。官途は播磨守。明徳の乱では、積極的に挙兵を画策した。丹後と出雲の守護を務めた。 続きを読む

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【事典】山名氏清

 足利尊氏に従い、元弘・建武から南北朝の動乱を戦い抜いた山名時氏の四男として誕生。山名家の惣領は、長男の師義から弟で五男の時義に伝えられ、時義が死ぬと、氏清には甥にあたる時煕が継いだ。氏清は、丹波、山城、和泉の守護職を得て、官位も陸奥守となっていた。 続きを読む

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【事典】山名義理

 山名時氏の次男。修理大夫。美作、紀伊の守護を務めた。山名時氏が幕府に帰順した貞治3年(1364年)に山名一族で保持していた伯耆、丹波、丹後、因幡、美作のうち、義理には美作が与えられた。 続きを読む

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【室町】明徳の乱:戦機

 明徳の乱(1391年)は、山名陸奥前司氏清が修理大夫義理の軍勢を合わせて南から京を狙う一方、播磨守満幸は西から攻め入り、旧平安京の大内裏跡に広がる内野で、足利義満の幕府軍と雌雄を決するという軍略を描いていた。今回は、戦端が開かれるまでの山名軍の動きに焦点を合わせてみる。 続きを読む

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【室町】明徳の乱:計画

 明徳2年(1391年)、守護大名の抑圧を図る足利義満の“挑発”に乗せられた山名一族が挙兵し、南と西から京に兵を進める。明徳の乱である。山名家の重臣だった小林上野守義繁は緒戦で討ち死に。勇猛をもって鳴る山名勢がいかにして、わずか1日で敗れ去るにいたったか――。軍記物語「明徳記」の記述に見る。 続きを読む

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【雑感】待望の書出版

  吉川弘文館から8月20日に、人物叢書「山名宗全」が刊行された。山名一族に関する出版物は少ないので、いわば「待望の書」。情報が乏しく一般にも不人気な一族に、どのような血肉を与えてくれるのか、内容が楽しみだ。

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