山名時氏の次男。修理大夫。美作、紀伊の守護を務めた。山名時氏が幕府に帰順した貞治3年(1364年)に山名一族で保持していた伯耆、丹波、丹後、因幡、美作のうち、義理には美作が与えられた。 紀伊は、南朝討伐のために補任された。このとき、隣国の和泉には氏清が任じられている。
明徳の乱では、出兵したが、結果的に戦闘には参加しなかった。乱後になって足利義満に嘆願したが許されず、出家後、各地を行脚したと「明徳記」には伝えている。
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