【江戸】高山彦九郎が肥後で会った人たち

 江戸時代後期の勤王家・高山彦九郎は、小林党と同じく群馬・藤岡にあった高山御厨の高山氏が出自と伝えられている。全国の著名人士と交流して尊王思想を広め、幕末の志士の先駆をなした人物として知られる高山彦九郎は、九州遊説中に幕吏の追及を受けて寛政5年(1793年)に福岡・久留米で自刃した。その直前には熊本を訪れ、多くの人たちと交わっている。 Continue reading

Posted in 江戸 | Tagged , | コメントは受け付けていません。

【戦国】小説「関ヶ原連判状」に登場

 安部龍太郎氏の作品に時代小説「関ヶ原連判状」がある。丹後・田辺城に籠城した細川幽斎が、実は“天下三分の計”を描いていたというストーリーであるが、細川妙庵(幸隆)に仕えていた小林勘右衛門も、チラリと登場させていただいている。 Continue reading

Posted in 戦国 | Tagged , , , | コメントは受け付けていません。

【史料】太平記巻第三十二 神南山合戦②

神南山合戦の事 Continue reading

Posted in 史料, 室町 | Tagged , , | コメントは受け付けていません。

【史料】「太平記」巻第二十五 小林大炊亮

 山名時氏住吉合戦の事 Continue reading

Posted in 史料, 室町 | Tagged , , , , | コメントは受け付けていません。

【戦国】米子に砦を築いた日野山名氏・山名宗幸

 伯耆の米子(鳥取県米子市)に、日野山名氏が進出していた時期があったようだ。「伯耆米子城」(立花書院、佐々木譲著)という本に書いていある。応仁文明の乱(1467~1474)の際、山名氏が守護を務めた伯耆は、隣国・出雲守護代の尼子清定と抗争していた。伯耆・出雲の境には、いくつも城砦がつくられた。 Continue reading

Posted in 戦国 | Tagged , , , , , , | 4 Comments

【大正】坂本弓術範士

 小林恒太郎の義理の兄・坂本茂は、弓術の日置流道雪派を学び、維新から神風連の乱、西南戦争と続く動乱の中でも弓を引き続け、師範にまでなっている。「「肥後武道史」には、大正13年(1924年)に坂本茂に「範士」の称号を贈られた時の記事が掲載されている。 Continue reading

Posted in 明治 | Tagged , , , , , | Leave a comment

【明治】弓術と敬神党

 鳥羽伏見の戦いで幕府軍を圧倒した洋式歩兵の威力は、細川藩にも、よりいっそうの兵制改革の必要性を感じさせた。熊本の大江に演武場ができ、藩士には西洋流歩兵操練の訓練参加が求められ、明治3年(1871年)には、藩校「時習館」での武道教授が差し止めとなった。保守的な人々は、師範が開く道場での稽古を続けたようだが、わが国古来の武術の衰微は顕著なものだったといわれる。 Continue reading

Posted in 明治 | Tagged , , , , , , | コメントは受け付けていません。

【明治】内坪井の借置と「船場なる自宅」?

 神風連の乱に参加した小林恒太郎は、挙兵が失敗に終わった後、鬼丸競、野口満雄とともに自刃した。小林の自宅でのことだ。自宅の場所は、現在の熊本市内坪井町の古地図に小林恒太郎宅の記録があるほか、同市山崎町にも小林家の住まいがあったことが伝わっている。どちらが最期の地であったのだろうか? Continue reading

Posted in 明治 | Tagged , , , , , | コメントは受け付けていません。

【江戸】寛永五年・小林伝三郎江戸への御供を望む

 「熊本県史料近世編」第二には、「寛永五年十一月五日覚」という、小林伝三郎が江戸参府に連れて行ってほしいと希望を出していた記録が残っている。 Continue reading

Posted in 史料, 江戸 | Tagged , , | Leave a comment

【平安】「講座日本荘園史」に見る高山御厨

 小林党の名字の地は、上野国緑野郡の高山御厨(群馬県藤岡市)にある。「講座日本荘園史5」(東北・関東・東海地方の荘園)には高山御厨の記述が登場する。 Continue reading

Posted in 平安 | Tagged , , | Leave a comment