【明治】神風連の乱と小林マシ子㊤

 神風連の乱は、明治9年(1876年)10月24日に起きた。小林恒太郎の妻・マシ子はこの年の3月に19歳で嫁いできたばかり。わずか半年余りの結婚生活だった。

 「血史熊本敬神党」(小早川秀雄著)によると、恒太郎は10月24日の朝、船場町にあった自宅で、妻マシ子、母ツタ子、妹アサ子を前にして挙兵のことを告げる。

 「今夜いよいよ鎮台に討ち入りて、平素の志を為さん」と言う夫の“出陣”の準備に、この日は追われた。

 母のツタ子は気丈に、「汝の武運を祈るぞよ」と送り出したものの、銃砲の音が夜の熊本の町を震わし、女3人、不安の夜を過ごした。

 25日朝になると、戦闘の噂が飛び交う中、大木淑慎が訪ねてきて、北岡にある細川邸で、恒太郎の元気な姿を見たことを知らせてくれている。

 この日の夜には、やはり乱に参加し、負傷した庄野景治が「休ませてくれ」と訪れ、26日夜まで小林家に潜伏。その後、甲佐方面に落ちていった。

 27日になり、ようやく鎮台兵や警官が家捜しに来た。恒太郎と日ごろ、付き合いのあった者たちを問いただした。マシ子は「嫁いで来たばかりだから」と逃れ、妹のアサ子が答えたが、いずれも鎮台襲撃の際に戦死した人たちの名前しか明かさなかった。

 恒太郎が家を出て行ってから、マシ子とアサ子は朝夕、冷水を浴びて武運を神に祈っていた。

 27日深夜になり、恒太郎は、鬼丸競野口満雄を連れて突然帰ってきた。

 「アサ、アサ」。恒太郎の密やかな呼び声に気づいた妹は、走り出て表口を開けようとしたが、「裏口を開けてくれ」と言う。

 マシ子が急いで奥座敷の雨戸を開けると、月明かりの中、庭の梅の木の下に恒太郎ら3人が立っていた。

 アサ子は後々まで、この時の様子を知人らに語っている。

 「冬枯れの梅樹の下に、月光を浴びて立ち居る光景。何とも言えぬほど凄絶のさま、今もなお、目に映じて忘れがたし」と。

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