神風連の乱

 神風連の乱と呼ばれる事件は明治9年(1876年)10月24日夜、明治政府の開化政策に反対する熊本の士族ら約170人が、熊本鎮台を襲ったもので、一般には不平士族の反乱の一つに数えられている。
 首領・太田黒伴雄が率いられた敬神党の一党は、鎮台司令官と県令は自宅で襲撃、熊本城内にあった鎮台の砲兵営と歩兵営のそれぞれに、刀槍だけで討ち入った。大混乱に陥れはしたものの、その夜のうちに鎮圧された。
 特異なのは、一党の死者の多さで、戦死28、自決87、刑死3、1年より無期の刑が43人、その他、縛をまぬがれたものが若干いる。
 渡辺京二氏の著「神風連とその時代」では、「古典的切腹はだいたい彼らの自決をもってその歴史を閉じたようだ」としている。

 熊本で起きた士族の反乱・神風連の乱は、熊本鎮台を刀と槍だけで襲い、1日で潰えた。
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