吾妻鏡は鎌倉幕府の歴史をつづったもので、源頼朝挙兵の治承4年(1180年)に始まり、第6代将軍宗尊親王が帰京する文永3年(1266年)までの記事を掲載。小林党に関すると思われる記事も散見される。
故志水の冠者義高の伴類等、甲斐・信濃等の国に隠居せしめ、叛逆を起こさんと擬するの由、風聞するの間、軍兵を遣わし征罰を加えらるべきの由、その沙汰有り。 足利の冠者義兼、小笠原の次郎長清、御家人等を相伴い、甲斐の国に発向すべし。 また、小山、宇都宮、比企、河越、豊島、足立、吾妻、小林の輩は、信濃の国に下向せしめ、捜し求むべきの由定めらると。 この外、相模、伊豆、駿河、安房、上総の御家人等、同じくこれを相催し、今月十日進発すべきの旨、義盛、能員等に仰せらると。