【明治】豊饒の海「奔馬」に登場

三島由紀夫の最後の長編作品「豊饒の海」は、第二巻「奔馬」で神風連をとり上げた。主人公の飯沼勲の愛読書として作中に登場する架空の書である「神風連史話」には、小林恒太郎の事跡についても触れている。

熊本鎮台に討ち入り後、小林宅での自決場面だ。

阿部景器、石原運四郎と鐙田で別れた小林恒太郎は、鬼丸競、野口満雄を伴って、陰暦九月十一日深夜、我家に帰った。

小林恒太郎は少壮ながら智勇共にすぐれ、豪勇鬼丸競の過激論とは、つねに相対峙してきた仲であるが、この性格の異なる同志が、死処を等しくするするのである。

三人はここで再挙の難いこと、一党の悉く壊滅したことを知って、翌日の夕刻に相並んで腹を切った。

自決の前に、小林は母に先立つ不孝を詫び、さらにこの春娶ったばかりの新妻十九歳の麻志子を別室へ伴って、離別を申し出た。生涯やもめを通させることを不憫に思ったからである。麻志子は泣いて、これを拒んだ。

三人は奥の座敷へ入り、家人はみな厨に控えた。小林は、「誰もここへ来てはならぬぞ。ただ水を縁側に汲んでおけ」と呼ばわってから、中央の畳一枚を剥いで打重ねた。

鬼丸は東向してこれに坐り、諸肌を押しひらいた。

厨の人々は、再び小林の呼ばわる声をきいた。

「鬼丸君の介錯は野口君がなさったぞ」

やがて、奥座敷の物音が途絶えた。

入ってみると、三人は東向して鬼丸を央に居並んで、端然と屠腹していた。

鬼丸四十歳、小林二十七歳、野口二十三歳。

「奔馬 豊饒の海(二)」 新潮文庫 120~121頁

「神風連史話」部分は、石原醜男著「神風連血涙史」などを参考にしていると言われる。

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