【史料】気高郡史考(山名氏豊と四宮源蔵)

永田肥前福井與七郎

永田、福井ハ気多郡八葉寺村の郷者ナリ。天正八年八月十四日伯耆倉吉城主山名小三郎氏豊、南條元続、小鴨元清ト河村郡地方村ニ於テ、吉川元春ノ軍ト戦ヒ、大敗シ囲ヲ脱シテ気多郡ニ遁来リ田原谷村ノ百姓平助ノ家ニ投ズ。然ルニ吉川氏ノ探索急ナルヲ以テ、氏豊ハ執権四宮源蔵ト共ニ但馬ヘ逃ケントテ、平助ノ家ヲ出テ、八葉寺村ヲ敵過スルヤ永田、福井ノ二士之ヲ討テ吉川氏ノ賞金ヲ得ノト欲シ氏豊ヲ捕獲セントシテ捜索ス。氏豊之ヲ知ラス。両人ニ遭遇シ水ヲ求ム。二人欺テ山下ノ岩間ヨリ出ツル水ヲ教ユ。氏豊之ヲ飲ム。二人背面ヨリ鉈刀ヲ揮テ之ヲ討ツ。四宮後レテ到リ此状ヲ見テ二人ヲ討タントセシモ敵ハ三十余人居リケレハ遂ニ亦討タレテ死ス。氏豊及源蔵ノ怒霊祟ヲ為ス。邑人之ヲ怖レ一社ヲ建テ、其霊ヲ祭リ惣社八幡宮ト号ス。其後神託アリテ社ヲ鳴瀧村ニ遷座シ、鳴瀧八幡宮ト崇敬ス。彼ノ田原谷村ノ平助ノ子孫今猶ホ当社ノ鍵取ヲ務ムルハ、其故ナリト云フ。(因幡誌)

因ニ、氏豊死後四五十年ヲ経テ因伯領主池田光政公ノ時代ニ、八葉寺ニ祭リテ八幡宮ニ崇メタリト云フ。

(「気高郡史考」楢柴竹造著、横山書店、大正十二年)

国立国会図書館近代デジタルライブラリー「気高郡史考」25頁) 

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