明徳の乱(1391年)は、山名氏清、満幸ら山名氏が起こし、足利義満の室町幕府に挑んだ。京都の大内裏である内野で戦われたことから「内野合戦」とも呼ばれる。中世武士選書14「大内義弘」(松岡久人、戎光出版社)には、山名軍の進撃路と幕府軍の配置が記載されている。
大内義弘が待ち構える陣に、山名義数、小林上野介の一隊が突撃。小林上野介は大内義弘に討ち取られてしまう。
※「明徳の乱」(岩波文庫)の記述をもとに作成した地図はこちら。
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