吾妻鏡 元暦二年乙巳 正月大 一日乙酉 卯剋武衛御水干御参鶴岡宮被奉神馬二足 山上太郎高光、小林次郎重弘等引之
吾妻鏡 元暦二年乙巳 正月大
一日乙酉 卯剋武衛御水干御参鶴岡宮被奉神馬二足 山上太郎高光、小林次郎重弘等引之
※「藤岡市史資料編別巻」には以下の注がある。(25ページ)
元暦二年(一一八五) 小林次郎重弘。 高山氏系譜に、重昭(重久)の弟重幸が小林五郎と称し、「奥州泰衡追討之時属于頼朝卿致忠勤」とある。 兄重昭とともに、比企能員に従って文治五年(一一八九)七月十八日先発したものである。
元暦二年(一一八五)
小林次郎重弘。
高山氏系譜に、重昭(重久)の弟重幸が小林五郎と称し、「奥州泰衡追討之時属于頼朝卿致忠勤」とある。
兄重昭とともに、比企能員に従って文治五年(一一八九)七月十八日先発したものである。
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