平安京の北部中央に位置する「平安宮」を指して大内裏と呼ぶ。東西約1.2キロ、南北約1.4キロの範囲に宮殿と諸官衙が整然と建ち並んでいたが、たび重なる火災で、安貞元年(1227年)の焼亡後は皇居は再建されず、周囲の諸官庁の打ち捨てられるようになっていた。この荒廃した大内裏の跡地が内野である。
大極殿の後は、現在の千本丸太町の西北にある児童公園に石碑が建っている。(参考:角川「日本地名大辞典」京都府)
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