山名師義の四男で、叔父の氏清の娘を妻にしている。官途は播磨守。明徳の乱では、積極的に挙兵を画策した。丹後と出雲の守護を務めた。
山名家の惣領は、時氏から長男・師義に伝えられたが、師義は時氏の死後、わずか5年で没する。師義の子はまだ若年だったことから、一族の惣領は、時氏の五男で師義に養われていた弟の時義に渡った。
時義の跡は、師義の次男・氏之に伝えられることになっていた。師義の長男・義幸は病弱だったため、時義より氏之が選ばれた。
満幸は、兄である義幸の分国・出雲、丹後の国務を代行するなどして、ひそかに惣領を望んだが、氏之が選ばれたことで、時義らに対する恨みを募らせていたといわれる。