「藤岡市史」史料編別巻には、高山一族の系図が記載されている。以下に掲載するのは、「藤岡地方の中世史料」にある高山吉重氏方に残る「高山系譜」をもとに作成した。 続きを読む
【室町】山形の旧家に伝わった「小林家文書」
山形の旧家に、上野国緑野郡大塚郷の地頭を出自とする小林氏の文書が伝わっている。南北朝から戦国時代にかけてのもので、文書の発給者は、新田義貞、足利尊氏、関東管領上杉氏(憲実、憲房、憲政)、足利義氏、村上義清、武田信玄・勝頼父子、滝川一益らの名前が残っている。 続きを読む
【史料】米良文書の小林氏系図
【事典】「熊野那智大社文書」
紀伊国熊野にある熊野三山の一つ、熊野那智権現(和歌山県那智勝浦町)に伝わる古文書である熊野那智大社文書には、中世から近世にかけて、盛んに行われた熊野詣(もうで)にかかわる貴重な資料が残されている。 続きを読む
【室町】明徳の乱で使われた小林の太刀
明徳の乱(1391年)で討ち死にした小林上野守(介)の太刀に関する記述が、奈良興福寺の大乗院門跡・尋尊が書いた日記「大乗院寺社雑事記」に遺されている。乱から約100年後の記事だが、当時の人々の記憶に残る程度の武将だったことがうかがえる。 続きを読む
【鎌倉】熊野那智大社文書
紀伊国熊野にある熊野三山の一つ、熊野那智権現(和歌山県那智勝浦町)に伝わる古文書である熊野那智大社文書には、中世から近世にかけて、盛んに行われた熊野詣(もうで)にかかわる貴重な資料が残されている。
【室町】コシャマインの戦い
中世における最大のアイヌ民族の蜂起と言われる「コシャマインの戦い」は1456年(康正2年)、応仁の乱(1467年)の10年前に、北海道南部で起きた。函館に近い「志濃里(しのり)」の鍛冶職人がアイヌの若者を刺殺したことをきっかけに、道南部のアイヌ民族が一斉に蜂起した。最初の攻撃目標となった「志濃里」を治めていたのは上野国出身の小林氏。上野国緑野郡の小林氏の一族だった可能性もある。 続きを読む
【室町】大内家に伝わる「小林長刀」
山名氏清ら山名一族が足利義満に背いた「明徳の乱」(1391年)で、周防国守護大名の大内義弘と一騎打ちの末、討ち取られた小林上野介(上野守)にちなむ長刀(なぎなた)が大内家に残されていた。中国地方の戦国時代を描いた戦記物語「陰徳記」に書かれている。 続きを読む