【史料】陰徳記巻第十一 琢阿弥討死之事

琢阿弥討死之事・大永6年(1526年)

 爰(ココ)ニ牛尾遠江守カ同朋ニ琢阿弥ト云大力ノ強ノ者有、遠江守カ未弥次郎ト云ケル時ヨリ戦毎ニ身ヲ離レス付随ヒ、経久伯州ニ於テ山名ト合戦ノ時山口弥二郎ヲ馬上ヨリ切テ落シ、其後南条カ郎等一条弾正ヲ組打ニシテヨリ已来、敵ヲ打コト三十余人ナリケレハ。経久モ我前ニ召出、諸人ニ勝タリ、ト宣テ感シ給コト数ヶ度ナリケルカ、今度ハ赤穴辺ヨリ風気煩ヒ。前後不覚ナリケレハ湯原カ最後ノ合戦ニ供セサリケリ。弥次郎討レケルト聞ヨリ涙ヲ波羅々々ト流テ、扨(サテ)ハ弥次郎殿打レ給タルニヤ、吾供奉シ申ナハ角ハ討レ給マシキニ、病ノ床ニ伏ケル故主ノ先途ヲ見届不申コトノ恨メシサヨ、主君遠州宣ヒシハ、弥次郎初合戦ノ時ヨリ已来伯耆ノ国ニ於テ、山名ノ弱敵ニ逢テ小勢ヲ以テ大勢ニ勝タリケルコト数ヶ度ナル故ニ、戦毎ニ我剛強ヲ頼ミ、敵ヲ侮リ深入シテ危キ働ヲ成ノミナリ。強将下ニ弱兵ナシト云へは、元就ノ兵ハ足軽等ニ至迄至強ナルヘシ。相構テ伯耆・因幡・美作辺ノ敵ト一般ノ看ヲ成スコトナカレ。

(マツノ書店発行「陰徳記」上・197頁)

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