武田刑部少輔頼晴久事・大永6年(1526年)
晴久我芸陽出張ノ透間ヲ伺、山名但馬守伯耆ヘ発向セハ、南条・行松等本領ヘ帰リ可入。其押ニトテ吉田筑後守・舎弟左京亮二千余騎差添テ、伯耆ニコソハ残シ置レケレ。
(マツノ書店発行「陰徳記」上・183頁)