【室町】明徳の乱で使われた小林の太刀

 明徳の乱(1391年)で討ち死にした小林上野守(介)の太刀に関する記述が、奈良興福寺の大乗院門跡・尋尊が書いた日記「大乗院寺社雑事記」に遺されている。乱から約100年後の記事だが、当時の人々の記憶に残る程度の武将だったことがうかがえる。

 小林上野守(介)は、足利義満に対して挙兵した主君・山名氏清を諫め、戦闘では大内義弘と一騎討ちになり、討ち取られている。

 「大乗院寺社雑事記」の記事は、延徳4年(1492年)正月28日の条に出ている。
 

一祐松瓶子等持参了、春円大進上用小林上野守所持之大刀、明日可京云々、入見算、其興在之、

 死後100年経っても、小林上野守(介)の太刀として話題にされていた証であろう。

 村田勇司氏が論文「能『小林』の周辺」(「学芸国語国文学」25、平成5年)で指摘されているもので、この太刀が小林の太刀であるかの真偽はさておいても、日記を書いた尋尊、この条に登場する春円には、小林という武将について知識があったと言っていいかもしれない。

 乱の後、比較的早い時期に成立したとみられる軍記物語「明徳記」や、乱を題材にした能「小林」に描かれ、理想的な武将としてイメージが広まっていたことがその背景にはあるようだ。

 村田氏の論考では、さらに、「明徳記」や「小林」による文学上の影響だけでなく、実際に小林の遺品や伝承を伝える役割を果たした人たちがいたのではないか、と推察が及んでいる。

 この論文には触れられていないが、小林を討ち取った側である大内義弘の長刀(なぎなた)が大内家に伝えられていたらしい。大内、尼子、毛利氏らが主人公となる中国地方の戦国時代を描いた軍記物語である「陰徳記」(巻七「大内先祖ノ事」)に見える記事である。

 小林上野守(介)が持っていた太刀だけでなく、小林上野守(介)を討ち取った長刀までもが後代に伝えられたことの意味を、あらためて考える必要があるかもしれない。

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