【江戸】細川幸隆、龍王城主となる
細川忠興が関が原の戦いでの功績によって豊前の国を拝領したのに伴い、弟の幸隆も豊前に入国し、宇佐郡安心院にあった龍王城主となった。幸隆に仕えていた小林勘右衛門も従ったはずである。上野国を出自とする小林党が九州の地に縁を持ったのは、これが初めてだと考えられる。
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【室町】小林義繁、大内義弘と一騎討ち
足利幕府の三代・義満の時代に、山名氏清が起こした明徳の乱(1391年)を題材にした「明徳記」には、小林上野守義繁と周防国守護・大内義弘が、馬を下りて一騎討ちを演じる様子が詳細に描かれている。近藤好和氏は著書「騎兵と歩兵の中世史」の中で、それまでの騎兵主体の戦闘から、徒歩による戦闘へ、移り変わっていきつつあることを明らかにされた。 続きを読む
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【事典】小林家文書
山形の旧家に、上野国緑野郡大塚郷の地頭を出自とする小林氏の文書が伝わっている。南北朝から戦国時代にかけてのもので、文書の発給者は、新田義貞、足利尊氏、関東管領上杉氏(憲実、憲房、憲政)、足利義氏、村上義清、武田信玄・勝頼父子、滝川一益らの名前が残っている。 続きを読む
【事典】「血史熊本敬神党」
「血史熊本敬神党」は明治43年(1910年)の刊行で、著者は小早川秀雄。神風連を総合的に捉えた書物は、明治29年(1896年)に出された木村弦雄の「血史」が最も早いが、これは社会の注目を集めるには至らなかった。乱後、神風連がようやく世の注目を引くことになったのは、小早川の「血史熊本敬神党」による。 続きを読む
【史料】「明徳記」小林義繁、氏清に諫言す
去程に十二月二十九日くれほどに、奥州、小林をよびて、宣(のたまひ)けるに、「われこの間、当社をあがめ申(もうし)、賀茂社を造営したてまつる事はただ、大方の敬信のみにあらず。この一大事を思立(おもひたち)祈祷の一をかねたる也。 続きを読む
【史料】「明徳記」山名氏清、陰陽博士に合戦の日を卜せしむ
去程に、軍は十二月二十七日を定(さだめ)たりけれども、紀伊国の勢そろはざりけるに依て、匠作おそく着給(つきたまひ)ければ、八幡にも今度の合戦せんとなり勢そろはでは如何とて、合戦は延引してげり。 続きを読む