「血史熊本敬神党」は明治43年(1910年)の刊行で、著者は小早川秀雄。神風連を総合的に捉えた書物は、明治29年(1896年)に出された木村弦雄の「血史」が最も早いが、これは社会の注目を集めるには至らなかった。乱後、神風連がようやく世の注目を引くことになったのは、小早川の「血史熊本敬神党」による。
ただし、そもそも小早川は熊本国権党の論客で、佐々友房の直系である。神風連の乱では、佐々はいわゆる「学校党」が巻き込まれるのを防ぐことに全力を挙げたことで有名だ。その流れを汲む小早川が、神風連の顕彰を行うことに違和感も感じられる。
それは、この本が出版された明治43年という時代と関連があり、日露戦争後、国民の心に生じた空白感を埋める役を担わされたという捉え方もある。神風連の研究は、遺族的感傷による顕彰と、国粋主義精神の象徴という異なる2つの底流を持っているようだ。