「太平記」は、鎌倉幕府の滅亡から建武の新政とその崩壊、南北朝の分裂、二代将軍足利義詮の死と細川頼之の管領就任まで約半世紀を描いた軍記物である。 続きを読む
【事典】神風連の乱
神風連の乱と呼ばれる事件は明治9年(1876年)10月24日夜、明治政府の開化政策に反対する熊本の士族ら約170人が、熊本鎮台を襲ったもので、一般には不平士族の反乱の一つに数えられている。 続きを読む
【戦国】沢田城跡に建つ「説明板」より
兵庫県篠山市にあった沢田城は、明智光秀の丹波侵攻により落城。山名家にゆかりのある小林一族が城主を務めていたとされるが、滅んだ。城跡には小林寺が建ち、小高い丘の一部には墓地が広がっている。篠山市の名前が入った説明板には、以下のような内容が書かれていた。 続きを読む
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【戦国】幽斎の三男、細川妙庵
関ヶ原の戦いの際に、丹後・田辺城では、西軍の大軍に囲まれた細川幽斎ら留守部隊が奮戦した。この時、活躍したのが幽斎の三男、幸隆(妙庵)である。 続きを読む
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【平安】高山党はいつから緑野郡に住みついたのか?
高山党が本拠とした荘園「高山御厨(みくりや)」が上野国緑野郡の地に成立したのは、天承元年(1131年)と言われる。御厨は、伊勢神宮に寄進された荘園のこと。上野国の荘園では、新田氏が開いた新田荘は保元2年(1157年)に成立。高山御厨は比較的早くできていることがわかる。
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【室町】小林右京亮、佐々木山内判官の勢を退ける
「太平記」巻三十一では、いよいよ山名右衛門佐師義が父の時氏とともに足利義詮に謀反を起こし、京に攻め上がる。緒戦の神楽岡の戦いでは、小林右京亮が登場する。 続きを読む
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