【戦国】沢田城跡に建つ「説明板」より

 兵庫県篠山市にあった沢田城は、明智光秀の丹波侵攻により落城。山名家にゆかりのある小林一族が城主を務めていたとされるが、滅んだ。城跡には小林寺が建ち、小高い丘の一部には墓地が広がっている。篠山市の名前が入った説明板には、以下のような内容が書かれていた。

沢田城跡
 八上城主波多野秀治の武将小林近江守長任(ながとう)の拠城跡です。
 平地よりの高さは約六十メートル。この小山全体に築かれた山城で、沼や水田もたくみに利用しています。東南に毘沙門堂があり、このあたりが大手(城の表門)で、搦手(裏門)は北の池に向かったところです。
 笹山、飛の山などともに篠山盆地中央部の防衛の役目をもっていました。
 天正七年(一五九七)五月、ときの城主小林修理進(しゅりのしん)重範(しげのり)が明智光秀の攻撃を受けて奮戦の後、討死し落城しました。

                                  篠山市

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