【戦国】高山右近と大分

 キリシタン大名の高山右近は、一説では上野の高山党の流れとも伝えられる。その子孫は、現在も石川と大分に残っている。高山党は、平良文より続く秩父氏の流れ。上野国緑野郡の高山御厨に勢力を張った武士団で、小林氏は高山氏から出ているとする説も有力だ。 続きを読む

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【戦国】細川家臣の小林家初代は、田辺城籠城衆

 肥後細川藩士としての小林家の初代は、小林家の「先祖附」によると、小林勘右衛門という。関ヶ原の戦い(一六〇〇年)の際、西軍の軍勢に囲まれた細川幽斎 の丹後・田辺城に籠城した一人と伝えている。幽斎が万が一、討ち死にすれば、幽斎が伝える古今伝授の断絶を恐れた後陽成帝による勅使で、和議・開城となっ た逸話でも有名な籠城だ。 続きを読む

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【戦国】篠山の小城「沢田城」

沢田城跡のあたり。中央やや左に小林寺の屋根が見える(兵庫県篠山市)

沢田城跡のあたり。中央やや左に小林寺の屋根が見える(兵庫県篠山市)

 丹波篠山の地(兵庫県篠山市)に、沢田城という小さな山城がある。丹波の領主で、明智光秀に滅ぼされた八上城主・波多野秀治の重臣、小林近江守長任が築いた。 続きを読む

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【江戸】勘右衛門、「御前損じ」により知行召し上げ

 小林勘右衛門は、細川家が豊前を領していた時代に、当時、隠居していた忠興によって、暇を出されている。知行を召し上げになったわけだが、周囲のとりなしにより、藩主・忠利が寛大な措置を講じ、帰参を許されている。 続きを読む

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【明治】小林恒太郎自刃を届ける「改正禄高等調」

改正禄高等調」という明治初期の公文書の写しがある。小林恒太郎に関する記述は、二項目ある。 続きを読む

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【戦国】先祖は小林民部丞?

 小林勘右衛門の次世代から、細川家に仕えた小林家は二家に分かれる。幕末の当主は、小林恒太郎と小林貞之助。小林貞之助系の「先祖附」では、初代の勘右衛門の先祖についての記述があった。そこに登場したのが、「小林民部丞」という名前だった。 続きを読む

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【室町】明徳の乱に出陣したのは、小林重長?

  明徳の乱(1391年)に出陣したのは、「明徳記」では、小林上野守義繁とある。一方、「丹波史を探る」(細見末雄著、神戸新聞総合出版センター)によれば、小林重長であったり、小林修理亮であったりと、その表記が揺れている。以下、「丹波史を探る」を見てみる。 続きを読む

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【戦国】勘右衛門の父「丹波」

 細川藩の公式の記録ともいえる「綿考輯録」巻五に記されている小林勘右衛門の出自は以下の通りだ。 続きを読む

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【明治】小林マシ子と池辺三山

 神風連の乱に参加した小林恒太郎の妻・マシ子の事跡に関連して、「血史熊本敬神党」(小早川秀雄著)には、もう一つ、気になる部分がある。 続きを読む

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【明治】小林恒太郎の妻・マシ子について

 小林恒太郎は、神風連の乱では、首領・太田黒伴雄以下、主力70人とともに、熊本城内の砲兵営(砲兵第6連隊)に斬り込んだ。鎮台襲撃後は、金峰山に登り、再挙を期すものの果たせず、自宅に戻り、鬼丸競、野口満男とともに自刃する。 続きを読む

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