沢田城跡のあたり。中央やや左に小林寺の屋根が見える(兵庫県篠山市)
小林長任、長治、時道と続き、最後の城主は小林修理進重範。織田軍による丹波平定が大詰めを迎えた天正7年(1579年)、修理進は柏原八幡山城へ迫った明智光秀を迎え撃ったが、討ち死にし、沢田城もこの時に落ちたようだ。
徳川の世に入り、篠山城が山陰道の要衝を守るために築かれた。篠山城から北東1キロほどのところにある小高い丘に、小林氏の小城は建てられていた。