【室町】小林右京亮、佐々木山内判官の勢を退ける

 「太平記」巻三十一では、いよいよ山名右衛門佐師義が父の時氏とともに足利義詮に謀反を起こし、京に攻め上がる。緒戦の神楽岡の戦いでは、小林右京亮が登場する。

 和田・楠は敵の気を計って平野へ帯(おび)き出さんと、法勝(ほっしょう)寺の西門を打ち通って、二条川原にぞ磐へたりける。ここに案の如く佐々木山内判官、楠が勢に欺(あざむ)かれて、箙胡(えびら)を扣(たた)いて時の声を揚げ叫(わめ)いて、切ってぞ懸(か)かりける。楠が勢東西に開き合って散々に射る。射れども山内判官事(こと)ともせず、敵を三方に相受けて、暫(しばら)く支へて戦ったる。これを見て、小林右京亮(うきょうのすけ)、「手合わせの合戦して、かへって敵に気を付けじ」と、七百余騎を左右に分けて、横合いに攻め戦って、山内判官思ふ程戦って、後陳(ごじん)の荒手(あらて)に譲って、神楽岡に引き退く。(太平記巻三十一)

 義詮方と山名方が対峙する中、山名方の誘引作戦によって先端が開かれた。はかばかしい戦果が得られないまま推移するかに見えたが、小林右京亮の側面攻撃により、戦局が動き始める。

 小学館の日本古典文学全集の注釈では、「小林右京亮」について、「山名氏の有力被官。上野国緑野郡小林(群馬県藤岡市)出身の武士。永和本では小林民部大夫」と説明。

 また、底本(水府明徳会彰孝館蔵天正本)と異同があるものとして、徴古館本を紹介。「佐々木は少しも疼まず、しころをかたふけ袖をかさして破入けるを見て、山名が執事小林右京亮、七百余騎にて横合にあふ、佐々木余りに到(いたく)懸(か)けられて不叶(かなはじ)とや思けん、神楽岡に引上る」としている。

 太平記には、山名家臣として「小林」が、民部丞、左京亮、右京亮は複数回、登場。そのほか、応安4年に塩冶高貞との戦いで戦死した民部丞重長の長子重治、文和4年の神南山合戦の乱戦中に民部丞とともに「舎弟」としてのみ登場する者もいた。注釈にある永和本の民部大夫については今のところ、他では見られないものだ。

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