【室町】小林義繁、大内義弘と一騎討ち

 足利幕府の三代・義満の時代に、山名氏清が起こした明徳の乱(1391年)を題材にした「明徳記」には、小林上野守義繁と周防国守護・大内義弘が、馬を下りて一騎討ちを演じる様子が詳細に描かれている。近藤好和氏は著書「騎兵と歩兵の中世史」の中で、それまでの騎兵主体の戦闘から、徒歩による戦闘へ、移り変わっていきつつあることを明らかにされた。

 明徳記最初の戦闘場面で、大内義弘軍に山名高義・小林義繁軍が攻めかかるところだ。大内側は騎兵を下馬させ、楯を並べて、馬の足を払い、落馬したところを討ち取る「打物(うちもの)=刀剣=」主体の戦闘態勢をとった。

 山名・小林側は騎兵で突貫したものの打ち破れず、馬から下りて「打物」を使って、切り込んでいる。

 太刀の小林義繁と長刀の大内義弘との「打物」による一騎討ちは、最後は小林義繁が討ち取られて終わる。

 大内も小林も、ともに馬上から刀剣で戦う「打物騎兵」だったが、大内は戦闘に入る前に「下馬打物」となり、小林も「下馬打物」に引き込まれている。近藤氏の分析では、「打物騎兵」の「下馬打物」が、時代の特徴であるという。すなわち、「馬上打物」から「下馬打物」への移行である。

 同氏の指摘からの引用を続ける――。軍記物語の中の戦闘を見ると、「平家物語」で「馬上打物」の増加が見られ、「太平記」で顕著になる、としている。

 やや、脇道にそれるが、同書では、弓射騎兵の戦闘例として、「今昔物語集」に見える源充と平良文の騎射の一騎討ちも紹介している。源平争乱の治承・寿永期以前の戦闘考察の手がかりになる、という。

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