「神風連の乱」タグアーカイブ
【明治】西南の役で神風連残党に言及
西南の役で西郷軍に参加した熊本隊を率いた池辺吉十郎の口供書(供述書)が「西南役と熊本(熊本県史料集成第13巻)」(国書刊行会発行)に掲載されている。 翌廿四日、自分西郷ニ面会セシニ、同人語テ曰ク、今夜神風連ガ抜刀城中ニ斬 … 続きを読む
【明治】豊饒の海「奔馬」に登場
三島由紀夫の最後の長編作品「豊饒の海」は、第二巻「奔馬」で神風連をとり上げた。主人公の飯沼勲の愛読書として作中に登場する架空の書である「神風連史話」には、小林恒太郎の事跡についても触れている。 熊本鎮台に討ち入り後、小林 … 続きを読む
【室町】【戦国】【明治】カタナにまつわる3つの戦い
小林党の歴史の中には、カタナにまつわる物語がいくつか見つかる。山名氏清が足利義満に叛いた「明徳の乱」(1391年)、関ヶ原の戦いの折り、西軍一万五千余の攻囲を受けた細川幽斎の「田辺籠城戦」(1600年)、刀と槍で熊本鎮 … 続きを読む
【明治】乱後3日目の小林恒太郎
神風連の乱は明治9年(1876年)10月24日に起きた。熊本敬神党の170人が熊本鎮台に切り込んだ事件である。熊本城の北約8.5キロにある杵築神社(熊本市北区鐙田)には3日後、小林恒太郎が立ち寄っ … 続きを読む
【大正】坂本弓術範士
小林恒太郎の義理の兄・坂本茂は、弓術の日置流道雪派を学び、維新から神風連の乱、西南戦争と続く動乱の中でも弓を引き続け、師範にまでなっている。「肥後武道史」には、大正13年(1924年)に坂本茂に「範士」の称号を贈られた … 続きを読む
【明治】弓術と敬神党
鳥羽伏見の戦いで幕府軍を圧倒した洋式歩兵の威力は、細川藩にも、よりいっそうの兵制改革の必要性を感じさせた。熊本の大江に演武場ができ、藩士には西洋流歩兵操練の訓練参加が求められ、明治3年(1871年)には、藩校「時習館」 … 続きを読む
【明治】内坪井の借置と「船場なる自宅」?
神風連の乱に参加した小林恒太郎は、挙兵が失敗に終わった後、鬼丸競、野口満雄とともに自刃した。小林の自宅でのことだ。自宅の場所は、現在の熊本市内坪井町の古地図に小林恒太郎宅の記録があるほか、同市山崎町にも小林家の住まいが … 続きを読む
【明治】「神癖家」と呼ばれた熊本敬神党
神風連の乱を起こした熊本敬神党の者たちを、事件直後に熊本県庁から内務省に送られた報告では、「神癖家」と呼称していた。「神風連」という名自体も、そもそも神がかり的な敬神党の一党の異質さを指して、熊本の士族たちが付けた通称だ … 続きを読む