神風連の乱を起こした熊本敬神党の者たちを、事件直後に熊本県庁から内務省に送られた報告では、「神癖家」と呼称していた。「神風連」という名自体も、そもそも神がかり的な敬神党の一党の異質さを指して、熊本の士族たちが付けた通称だ。「神癖家」の言葉には、より強い揶揄が込められているように感じる。
「事変最初ノ報告文写」という史料がある。昭和9年に中央公論社から出版された「神風連(下巻)」に添付された「熊本県庁文書綴込」の中に紹介されていた。
昨廿四日午後十一時頃、県下士族の内、神癖家と唱し候者百数十名、暴挙に及び、鎮台兵営及び県令その他各所へ放火。種田少将初め武官並びに令参事兵員等に至るまで、暗撃をうける者数十名に及び申し候。(以下略)
宛先は「正院ト内務省」で、報告者は「熊本県七等仕出 桑原戎平」となっている。
「神癖家」とは、一般に馴染みのない言葉だが、「蘭癖家」が蘭学、あるいはオランダによって持ち込まれる舶来の事物について執着する人たちのことを指していることを思えば、その方向性はわかるような気がする。
神道に偏した人たち、という意味になると思うが、そこには「理解不能」というメッセージも込められている。
文明開化の気分が横溢する官吏にとって、神に祈って成否・吉兆を問う「うけい(誓約)」によって行動を決める熊本敬神党を理解することは困難であった。
保守的で、しかも反動的ですらあった、敬神党以外の熊本士族にとっても、理解不能であったことは同じだっただろう。
ただし、彼らが付けた「神風連」という呼称の方は、後の時代に再評価された際に再浮上した。「神癖家」は、そうした時代の思惑に“利用”される余地はなかった。熊本敬神党を理解する、という意味では、「神癖家」の方が正しく彼らを表現していたのかもしれない。第三者には、100%理解不能ということを正直に表しているからだ。