【室町】「鬼ここめ」と恐れられた小林上野介

 山名一族が足利義満に叛いた明徳の乱(1391年)で、小林上野介(守)義繁は、周防国守護の大内義弘と一騎打ちの末、討ち取られてしまう。その勇猛ぶりは「鬼ここめ」と畏怖されていたことが、乱を題材にした軍記物語「明徳記」に書かれている。バケモノのような強さだった、ということだ。

二条大宮
 「明徳記」(岩波文庫版)は、次のように表現している。

 「西国に名を得たる大内勢と、中国にては勇士のきこえある山名方の鬼こゝめなれば、互いに勇み進みて、ただ死を限りに戦う者はあれども、命を惜しみて一足も退く者はなかりけり」

 岩波文庫の明徳記は、陽明文庫蔵本が底本。この部分を、宮内庁書陵部本で見てみると、次のようになっている。

 「西国一の勇士と名を得たる大内勢と、山名一家のその中に、鬼こゝめと怖れられし上総介と小林なれば…」と具体的に、山名高義と小林義繁を「鬼こゝめ」と言っている。

 「鬼こゝめ」(鬼ここめ)の「ここめ」について、広辞苑は「化け物、妖怪」のことだとしている。つまり、「鬼」も「ここめ」も、人力を超えた非常に勇猛な者のたとえとして使われている。

 鎌倉時代の説話集「古今著聞集」にも、「鬼ここめ」という言葉が出てくるので紹介しよう。

 巻第十六「興言利口」の「兵庫頭仲正秘蔵の美女沙金をめぐる争ひに、佐実髻を切らるる事」の中に登場。

 「鬼ここめをも物ならず思へる武士は、おそろしきものぞ」という記述だ。鬼や魔物を何とも思わない武士の勇気を、畏怖を込めて語った場面だ。

 ちなみに、ここで登場する武士は、タイトルに見える兵庫頭・仲正を指す。摂津源氏の源仲政のことで、仲政の子は以仁王とともに平氏打倒の兵を挙げた源三位頼政である。

 明徳の乱では、鬼ここめと恐れられた小林義繁と山名高義は、主力の山名氏清らの軍の到着を待たずに、緒戦の二条大宮の戦いで討たれてしまう。

 有名な両武将を討ち取った幕府軍の意気は上がり、山名軍は全軍の連携が取れないまま、逐次、各軍が戦場に投入され、各個に撃破されて、1日で乱は終わる。

 ある意味、「鬼ここめ」と呼んで山名方武将の勇猛さを称揚することは、それを上回って勝利する幕府軍の強さ、正当性を際立たせることを狙ったものだったのかもしれない。

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