明治」カテゴリーアーカイブ

【史料】事変最初ノ報告電文写

 神風連の乱直後に内務省あてに送られた電文には、「神癖家」と呼び方が登場する。

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【明治】「神癖家」と呼ばれた熊本敬神党

神風連の乱を起こした熊本敬神党の者たちを、事件直後に熊本県庁から内務省に送られた報告では、「神癖家」と呼称していた。「神風連」という名自体も、そもそも神がかり的な敬神党の一党の異質さを指して、熊本の士族たちが付けた通称だ … 続きを読む

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【明治】神風連の乱と小林マシ子㊦

小林恒太郎、鬼丸競、野口満雄の3人は、再挙の企てを断念し、恒太郎宅で割腹して果てた。明治9年10月28日のことである。役所に自決を届け出て、検視を終えた小林家では、再び、マシ子の行く末のことが話題にのぼった。

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【明治】神風連の乱と小林マシ子㊥

小林恒太郎の結婚相手探しは難渋した。母親が縁談を持ってきても恒太郎は頑として応じなかったらしい。ツタ子はついに、「自分が女親なれば軽侮して、かく、わがままを言うことなるべし」と怒る。母の意に従って妻を迎えることになるが、 … 続きを読む

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【明治】神風連の乱と小林マシ子㊤

 神風連の乱は、明治9年(1876年)10月24日に起きた。小林恒太郎の妻・マシ子はこの年の3月に19歳で嫁いできたばかり。わずか半年余りの結婚生活だった。

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【事典】坂本茂

 神風連の乱当時、小林恒太郎には母と姉、妹がいた。姉はすでに家を出ており、その嫁ぎ先が坂本茂である。恒太郎は坂本のことを信頼していたようで、挙兵の日の朝、母と妹には鎮台へ討ち入ることを明かし、その日の午後には、新屋敷(熊 … 続きを読む

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【事典】先祖附

 「先祖附」は、肥後細川藩が藩士に家系を提出させたもの。熊本県立図書館蔵の先祖附によると、明治維新時の藩士だった小林恒太郎の初代に関して、次の記録が残っている。

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【明治】敬神党の“外様”春日寺塾派

 明治9年、政府の洋化政策に反発して熊本鎮台を襲った「神風連の乱」を起こした熊本敬神党の中で、小林恒太郎は計画から挙兵まで、枢機に参与する参謀の一人に数えられるが、“外様”的な存在であった。

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【史料】小林恒太郎の出陣と小林及び鬼丸競、野口満雄との割腹⑤

  斯くてこの夜、小林家にては、遺骸を擁して親族一同夜伽したるに、妻マシ子は僅かに十九歳の妙齢なれば、その後事を如何に処置すべきかと話出でたるに、これを聞きたるマシ子は、決心の堅(かた)きを示さんため、独り部屋に入り、艶 … 続きを読む

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【史料】小林恒太郎の出陣と小林及び鬼丸競、野口満雄との割腹④

  訣別の宴も済みたれば、三人は同じく湯を以って身体を洗い清め、小林は衣を改め、鬼丸、野口は衣紋を正し、三人相携えて、母を初め一同の前に坐し、小林は母に向ひ、先立つ不幸の罪を詫び、事ここに至りては、割腹の外なきを述べしに … 続きを読む

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