【史料】小林恒太郎の出陣と小林及び鬼丸競、野口満雄との割腹④

  訣別の宴も済みたれば、三人は同じく湯を以って身体を洗い清め、小林は衣を改め、鬼丸、野口は衣紋を正し、三人相携えて、母を初め一同の前に坐し、小林は母に向ひ、先立つ不幸の罪を詫び、事ここに至りては、割腹の外なきを述べしに、母は、なに、相済まぬ事のあるべき。安心して快く死すべしと慰め、姉妹にも暇乞いを為し、それより妻を別室に伴ひて行きて、己の死後、離婚再縁の事を頼みたり。

  初め小林の母は、小林のために伉儷を求めしも、小林は頑として応ぜず。固く辞したれば、母は怒を含み、自分が女親なれば、軽侮して、斯く吾儘を言う事なるべしと云ひたれば、小林はやむことなくして、母の意に随ひ、妻を迎ふる事となりたり。今日ありて明日なき身と覚悟せる小林には、いかに心苦しき結婚なりしならん。 ここに於いて、鎌田景弼(かまだ・かげすけ)の妹を迎へしが、即ち妻のマシ子にて、同女の嫁ぎ来りしは当年三月、芳紀まさに十九歳なりき。

 小林は、この年若き婦人を生涯寡婦たらしむることの無惨なるを想ひ、しきりに離別再縁の事を勧めしも、マシ子は断として肯んぜず。 妾不肖なれども、願はくは良人のために、貞節を全うして、永く母上へ孝養を尽くしたしと請ひて聴かざれば、小林は如何ともする能ず。そのままになし置きたり。

 この間、鬼丸は一同に向ひ、この場となりては、何も言い残すべき事なし。唯自分には二人の子あり。これだけは宜しく御頼み申すとて、左の歌を認めて、家に送りくれと依頼したり。

  生みの子あらん限りは皇国(すめくに)のみためになれよ生みの子の末

 野口もまた、小林の姉リツ子=坂本に嫁し、野口の姉の嫁したる処の近隣にあり=に向ひ、御序(おついで)にこの手紙を姉に渡していただきたしとて、さきに認めたる遺書を託し、且つ幼少より撫育されし恩義を幾重にも陳謝したりと伝えくれよと頼み、それより三人は奥の間に入り、家人は一同台所に控えて待ち居たり。

 この時、小林は中の畳一枚を剥ぎて上に重ね、鬼丸は東向してその上に坐し、諸肌推しぬぎて後、吾腹をかき終るを待ち、両君の中に介錯頼むと云ひしかば、小林は台所にありし家人に向ひ鬼丸君の介錯は野口君がなしたりと云へと告げたれば、家人は承知せりと答へたり。 野口は同じく、東向して鬼丸の左に、小林は右に端座して、各腹をかき、咽喉を突きて死せり。鬼丸、年三十九。小林は二十七、野口は二十三。

 やがて、坂本茂は帰り来りて、この割腹の期に後れしを残念がり、直ちに馳せて官庁に訴へたれば、検視来りて之を観、その見事の最期を称せり。 小林家にては、小林、鬼丸、野口の三人割腹して後、僅かに一夜の事なりしに、二階の物置に寝かせたるは残念なり、立派に座敷に臥せしむ可かりしにとて、口惜がりしと云う。

  斯くてこの夜、小林家にては、遺骸を擁して親族一同夜伽したるに、妻マシ子は僅かに十九歳の妙齢なれば、その後事を如何に処置すべきかと話出でたるに、これを聞きたるマシ子は、決心の堅(かた)きを示さんため、独り部屋に入り、艶々しき黒髪を惜しげもなく、根元より切り落とし、心の丈を示したれば、母をはじめ、座にありし人々、何れも涙に面を掩はぬは無かりき。

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