斯くてこの夜、小林家にては、遺骸を擁して親族一同夜伽したるに、妻マシ子は僅かに十九歳の妙齢なれば、その後事を如何に処置すべきかと話出でたるに、これを聞きたるマシ子は、決心の堅(かた)きを示さんため、独り部屋に入り、艶々しき黒髪を惜しげもなく、根元より切り落とし、心の丈を示したれば、母をはじめ、座にありし人々、何れも涙に面を掩はぬは無かりき。
その後マシ子は、節操堅固にして、歳月を過ごすうち、鎌田家は家を挙げて東京に出で、兄・鎌田景弼(かまだ・かげすけ)の家に投じたる際、同家にては、小林家に相談して、マシ子も東京に伴ひ行きたり。東京に在るとき、如何に話の纏まりしにや、拒むマシ子をして、強いて小林家に離縁を申し込ましめたれば、小林家にても、妙齢の婦人を終世寡婦たらしめんは無惨なりとて、快くこれを承諾し、その後マシ子は、鎌田氏の佐賀県令たりし時、或人に再嫁し、二三人の子供までも出来たるが、その夫の素行乱れしかば、マシ子は止むなく里方に帰り来り、一日小林家の川尻町にあるを訪ひて、深く自己の過を謝し、妾があまりに附甲斐なかりしため、貞節を全うする能はずして、再嫁する事となり、今日不幸の身となれるは、畢竟神罰なりと、涙を流して懺悔し、数日滞留して帰りしが、斯くて神経を痛め、自ら刃に伏して死したりと云う。