「田辺城籠城」タグアーカイブ
【室町】【戦国】【明治】カタナにまつわる3つの戦い
小林党の歴史の中には、カタナにまつわる物語がいくつか見つかる。山名氏清が足利義満に叛いた「明徳の乱」(1391年)、関ヶ原の戦いの折り、西軍一万五千余の攻囲を受けた細川幽斎の「田辺籠城戦」(1600年)、刀と槍で熊本鎮 … 続きを読む
【戦国】小説「関ヶ原連判状」に登場
安部龍太郎氏の作品に時代小説「関ヶ原連判状」がある。丹後・田辺城に籠城した細川幽斎が、実は“天下三分の計”を描いていたというストーリーであるが、細川妙庵(幸隆)に仕えていた小林勘右衛門も、チラリと登場させていただいてい … 続きを読む
【明治】旧功臣の子孫を召す
細川幽斎公没後三百年祭が行われた明治43年(1910年)10月の「九州日日新聞」には、祭典に関する記事が連日掲載された。熊本市黒髪(当時・黒髪村)の細川家御祠堂で執り行われた祭典は、この年の4月に開かれた市民挙げての「三 … 続きを読む
【明治】細川幽斎公三百年祭
2010年は細川幽斎没後四百年にあたる。熊本市では幽斎公四百年祭が開かれ、戦国時代の文武を代表した武将の顕彰が行われる。100年前の明治43年(1910年)にも三百年祭が開かれていた。熊本で当時、発行されていた九州日日新 … 続きを読む
【事典】細川幸隆
細川幸隆(妙庵)は元亀2年(1571年)、細川藤孝(幽斎)の第四子として誕生。長男は忠興、二男は興元で、3人の母は、若狭熊川城主沼田上野介光兼の娘・麝香(じゃこう)である。
【事典】田辺城籠城
慶長5年(1600年)、徳川家康は会津の上杉景勝を討つために、諸国の軍勢を催して会津に向かった。その間隙を衝くかたちで、石田三成が反徳川勢力を結集して挙兵。天下分け目の関が原の戦いに向けて戦機が熟していった。