熊本敬神党」タグアーカイブ

【明治】乱後3日目の小林恒太郎

  神風連の乱は明治9年(1876年)10月24日に起きた。熊本敬神党の170人が熊本鎮台に切り込んだ事件である。熊本城の北約8.5キロにある杵築神社(熊本市北区鐙田)には3日後、小林恒太郎が立ち寄っ … 続きを読む

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【明治】弓術と敬神党

 鳥羽伏見の戦いで幕府軍を圧倒した洋式歩兵の威力は、細川藩にも、よりいっそうの兵制改革の必要性を感じさせた。熊本の大江に演武場ができ、藩士には西洋流歩兵操練の訓練参加が求められ、明治3年(1871年)には、藩校「時習館」 … 続きを読む

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【明治】神風連の乱と小林マシ子㊥

小林恒太郎の結婚相手探しは難渋した。母親が縁談を持ってきても恒太郎は頑として応じなかったらしい。ツタ子はついに、「自分が女親なれば軽侮して、かく、わがままを言うことなるべし」と怒る。母の意に従って妻を迎えることになるが、 … 続きを読む

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【明治】神風連の乱と小林マシ子㊤

 神風連の乱は、明治9年(1876年)10月24日に起きた。小林恒太郎の妻・マシ子はこの年の3月に19歳で嫁いできたばかり。わずか半年余りの結婚生活だった。

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【雑感】江戸時代の心性

  明治9年、熊本で起きた神風連の乱に参加した小林恒太郎は、事敗れた後、自宅に戻って切腹。最期のときに、先立つ不孝をわびる恒太郎に、母・ツタ子は安心して死ぬように励ましたと伝えられている。軍国主義の美談に利用されそうな場 … 続きを読む

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【明治】異端としての神風連

 熊本敬神党(=神風連)の遺族についても、歴史は若干の記録をとどけてめている。明治27年9月21日の読売新聞には、「召集令待てずに、自害はかる。神風連の遺児で某師団曹長、志果たし渡韓師団に」とのタイトルで、当時としては長 … 続きを読む

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