「伯耆」タグアーカイブ
【史料】気高郡史考(山名氏豊と四宮源蔵)
永田肥前福井與七郎 永田、福井ハ気多郡八葉寺村の郷者ナリ。天正八年八月十四日伯耆倉吉城主山名小三郎氏豊、南條元続、小鴨元清ト河村郡地方村ニ於テ、吉川元春ノ軍ト戦ヒ、大敗シ囲ヲ脱シテ気多郡ニ遁来リ田原谷村ノ百姓平助ノ家ニ投 … 続きを読む
【史料】羽衣石南條記(山名氏豊と小林源蔵)
倉吉城主山名小三郎氏豊正統の事 附り山名満幸因州落の事 夫れ花に開落あり、月に盈虧あり、盛なるもの必ず衰へ、歓楽極て哀情多きは人生の常也。ここに伯州倉吉の屋形山名小三郎氏豊は山名氏の正統にして、其祖山名伊豆守時氏因伯両州 … 続きを読む
【史料】伯耆の小林寺
小林党の一部は山名時氏に従い、上野国を出て西遷している。江戸時代に編まれた地誌「伯耆民談記」には、明徳の乱で討ち死にした小林修理亮のために妻が建立した「小林寺」が伯耆国久米郡にあったことが記されている。 「伯耆民談記 … 続きを読む
【室町】「山名家没落の節」は明徳の乱?
「先祖は小林民部丞と申す者、伯州山名家の分流にて、丹波国に在城仕り居り申し候。その後、山名家没落の節、一族、いずれも戦死仕り候由…」。肥後細川家に明治維新まで仕えた小林家の「先祖附」の一節である。山名家没落の節とはいつ … 続きを読む
【戦国】国人領主、日野山名氏
伯耆国日野郡の国人に、日野山名氏と呼ばれた山名氏の一族がいた。山名義幸の子孫と伝えられ、生山城(亀井山城)を本拠に室町時代から戦国時代までを生き抜いた。
【雑感】山名は“弱敵”か?
山名一族に対する一般の評価は低い。軍記物の中では“弱敵”呼ばわりしているものさえある。現代の歴史小説にも取り上げられることはない。早々と滅んでしまい、後世への代弁者を持たなかったせいだと思う。