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【戦国】丹波の七頭

 織田信長の命を受けた明智光秀によって攻め滅ぼされた丹波の波多野氏は、傘下の武将を、七組、七頭、先鋒衆、老中家、三人衆に組織し、戦国大名として独立を維持してきた、と軍記などでは伝えている。沢田城(兵庫県篠山市沢田)の城主 … 続きを読む

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【室町】「山名家没落の節」は明徳の乱?

 「先祖は小林民部丞と申す者、伯州山名家の分流にて、丹波国に在城仕り居り申し候。その後、山名家没落の節、一族、いずれも戦死仕り候由…」。肥後細川家に明治維新まで仕えた小林家の「先祖附」の一節である。山名家没落の節とはいつ … 続きを読む

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【戦国】愛宕山と小林丹波・勘右衛門父子

 小林勘右衛門が京都の愛宕山に、細川幽斎の三男・幸隆を訪ねたのは戦国時代も終わりに近い天正年間のことと思われる。幸隆の小姓として仕え始めた縁で、明治維新まで細川家で禄を食むことになることを考えれば、小林党の支流である肥後 … 続きを読む

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【室町】上野介の憂鬱

 明徳の乱(1391年)の緒戦で討ち死にしてしまう小林上野介(上野守)は、幕府軍が陣取る内野に攻め込む前に、桂川で味方であるはずの丹波勢と戦っている。明徳の乱で起きる数多くの誤算の中で、最たるものだったと思う。「明徳記」 … 続きを読む

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【雑感】勘右衛門を幸隆に託したのはなぜ?

 小林丹波が、子の勘右衛門を愛宕山福寿院にいた細川幸隆に託したのは、戦国の世も終わりに近い、天正年間のことだ。幸隆は細川幽斎の三男。後に妙庵とも号した。やがて還俗することになるが、このときは出家の身である。では、丹波は、 … 続きを読む

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