【戦国】丹波の七頭

[googlemap lat=”35.07957″ lng=”135.227″ align=”right” width=”300px” height=”250px” zoom=”16″ type=”G_NORMAL_MAP”]沢田城跡[/googlemap] 織田信長の命を受けた明智光秀によって攻め滅ぼされた丹波の波多野氏は、傘下の武将を、七組、七頭、先鋒衆、老中家、三人衆に組織し、戦国大名として独立を維持してきた、と軍記などでは伝えている。沢田城(兵庫県篠山市沢田)の城主・小林修理進重範は七頭の一人に数えられていた。

  「多紀郷土史考」(昭和33年・千代田出版印刷、奥田楽々斎著)には、それぞれの武将名が挙げて紹介している。以下、「多紀郷土史考」の記述をそのまま表にした。

七頭
久下越後守重氏 足利尊氏が義兵を挙げた時に、第一番に馳せ参じた久下三郎時重の末。久下城主。
長沢治部大夫義遠 源義経の子孫という。大山城主。
江田行義  新田義貞の一族。綾部城主。
大館左近将監氏忠  新田の一族で大館氏義の末。高山寺城。
小林修理進重範  山名の管領を務めた小林氏重の末。沢田城主。
荒木山城守氏綱  元は波多野氏の出という。園部城主。
赤井悪右衛門尉景遠 葦田順知六郎景澄の末孫。穂壷城主。

 

七組
荻野六左衛門朝道 荻野彦六郎定朝の後。荻野城主。
須知主水景氏 須知六良景澄の孫。赤井家とは兄弟の家にあたる。須知城主。
内藤備中守顕勝 入道道勝の後、八木の内藤と一族。曽地城主。
波々伯部治良左衛門光政 波々伯部治良左衛門光則の後。
足立右近光永 足立右馬允遠元光の孫。足立城主。
野尻玄蕃康長 鎌田兵衛政清の後。野尻城主。
酒井佐渡守重貞 畠山重忠の末。

 

先鋒衆
八田城主 籾井越中守教業
福知山城主 小野木縫殿助吉澄
山家城主 谷大膳重衡
鬼ヶ洞城主 雲林院式部国住

 

老中家
平林大膳秀衡
渋谷播磨守忠貞
三田肥後守綱氏
渋谷伯耆守氏秀
荒木藤内左衛門氏修
渡辺大学継俊
御三人衆
大路城主・二階堂伊豆守
宮田城主・山名和泉守豊恒
能勢城主・能勢丹波守久基

 

 

 

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