【史料】陰徳記巻第七 尼子敗軍之事

尼子敗軍之事・大永6年(1526年)

 大内左京兆モ尼子予州モ、如何様ニモ有無ノ一戦ヲ遂ハヤト、互ニ進マレケレドモ、時節ヲ窺ケル間一日々々ト延引シテ五十余ヶ日ヲ経タル処ニ、伯耆ノ国ヘ山名但馬守出張ノ由告来リケレバ、常久、是ハ由々敷大事ナリ。南条・小鴨・行松等此費ニ乗テ本国ニ入ナバ又切返サン事可難。急馳向テ退治セン、トテ即義興ヘ使ヲ以、御辺我等対陣ノコト我日ノ本ニ隠有間布候間、諸人ノ耳目ヲ驚ス如クナル防戦ヲ遂申サントコソ存候処ニ、互ノ所存齟齬セシメ候哉、徒ニ数月ヲ送リ候。某ハ伯州口ヨリ因幡・但馬ヘ発向仕ルベシト存、当陣ヨリ引払候、ト伝送リ、頓テ開陣也。カカリシカハ石州半国過テ尽ク大内ノ幕下ニ属シテケリ。

(マツノ書店発行「陰徳記」上・118頁)

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