【史料】陰徳記巻第五 大永の五月崩れ

大永の五月崩れ・大永4年(1524年)

 (尼子)経久ハ当正月中旬(大永四年)ヨリ伯耆ノ国ヘ発向シ、山名ト数カ度合戦ニ及ケルカ、与土井(淀江)・天満・不動ケ嶽・尾高・羽元石(羽衣石)・泉山以下数ケ所ノ城郭ヲ責落シケル間、山名入道国ニ堪エズ、因幡ヲサシテ逃入、其後肥後ノ宇土ノ屋形ヲ頼リ、九国ニ下リケルト聞エシ。南条豊後守宗勝・小鴨掃部助・小森和泉守・山田(高直)・行松(入道正盛カ)・福頼以下悉ク国ヲ去テ、因幡・但馬ヘ引退、山名但馬守豊員ヲ頼居タリケリ。カク伯耆ニ於テ合戦仕乱タル半バ也ケレバ、彼国ヲヒタスラ打捨ンモ如何ナリトテ、少芸陽出張ノ義、延引セラレケリ。

(マツノ書店発行「陰徳記」上・94頁)

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