【室町】大内氏実録に登場する長刀「小林」

 明徳2年(1391年)の明徳の乱で、山名氏清の武将・小林上野守(介)は京都・内野で幕府側の先鋒を務めた大内義弘と一騎打ちの末、敗れる。この時、小林を討ち果たした大内義弘の長刀が「小林長刀」として、大内家が滅亡するまで家宝として残されていたことは、軍記物語「陰徳記」に触れられている。「大内氏実録」(明治18年、近藤清石著)の世家第三「義弘」の中には、さらに詳しく紹介されていた。

二条大宮

 明徳の乱では、神祇官の杜を背にして陣を敷いた大内勢は馬を降りて徒歩で山名軍の突撃を受けとめた。義弘の得物は長刀。これに対して小林も下馬して、太刀で打ち合った。

 これを受け、実録は「小林」と名づけられた長刀に言及。

 系図に、「此時義弘所持之長刀、号小林長刀為家珍」とあり、此刀大内氏滅亡の後、毛利氏厳島神社に奉納して神庫にあり。明徳記三尺一寸とするはあやまりにて刃長二尺五寸六分、茎長一尺五寸五分五厘、刃頗る欠け、且切込もありて当日の力戦を想像せらるる品なり。実に小林と名づけしもことわりとおもはる。

 刃こぼれした長刀をそのまま、家宝にしたのは、この一騎打ちを心にとどめるためだったのだろう。

 一方の小林が手にしていた太刀も、奈良興福寺の大乗院門跡・尋尊が書いた日記「大乗院寺社雑事記」に登場。乱後100年を経過していたころの日記だが、「小林上野守所持之大刀」として触れられている。このことは、2009年6月18日の「【室町】明徳の乱で使われた小林の太刀」でも書いたので参照していただきたい。

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