【江戸】寛永五年・小林伝三郎江戸への御供を望む

 「熊本県史料近世編」第二には、「寛永五年十一月五日覚」という、小林伝三郎が江戸参府に連れて行ってほしいと希望を出していた記録が残っている。
「寛永五年十一月五日覚」 小林勘右衛門二男傳三郎 今度江戸御供ニ被連被下候様ニと申上候事 右三人(藤田・西村)ハ御目見え仕迄ニ而いまた御ふちかたハ不被下候 如何有御座候哉事(「熊本県史料近世編第二」四一〇頁)
 伝三郎は小林勘右衛門の二男。長男は半三郎という。勘右衛門の没年は寛永7年(1630年)12月で、豊前において病死している。
 「覚」は、伝三郎を江戸の御供に加えてくれるよう上申があったが、扶持をもらっている身分でもないので、判断が難しい旨書かれている。
 半三郎と伝三郎が知行取りとなったのは、勘右衛門の死後しばらく経った寛永10年(1633年)のことで、150石ずつ頂戴し、それぞれ家をたてている。

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