【史料】小林恒太郎の出陣と小林及び鬼丸競、野口満雄との割腹②

 如何にも多忙の様なりしが、二十四日の朝に至り、酒肴を神前に供へ、形の如く拜礼を済し、やがて妻マシ子と妹アサ子とを己が居間に招きて云ふやう、今夜いよいよ、鎮台に打入りて、平素の志を為さん筈なり。夕刻に帰り来れば、何くれと用意し置くべし。また、神前の御供へを取り下げて、料理し置くべしと命じて出で行きたり。 小林はこの日、何くれと、挙兵の準備について奔走し、午後に至り、坂本茂を新屋敷に訪ひしに、小国に赴きたる留守なりしかば、小林は姉なる坂本の妻に向ひて、近辺まで来りたればとて、それとなく暇乞ひし、夕刻に至りて帰り来り。

  この時、妻と妹とは、すべての用意を整へて、待ち居たれば、小林は心地よく夕餐を済まして、自室に入り、二人を相手にして出陣の打扮(いでたち)を済まし、父の形見の絹綿入を内に着込みて、木綿の上張りを着け、袴をはき、蔦くずしの定紋ある羽織を着て立出でんとし、なお二人に向ひ、もし、事長くなりて、他に行く事ありても、いったんは必ず帰り来るべし。しかし、長引く事もあるまじ。砲弾飛び来るごときことあるも、遠きに避くるにも及ばざるべし。後事をよろしく頼むと言い置き、さらに母に向ひて、当夜の事を打ち明けて、暇乞ひす。母は、汝の武運を祈るぞとて、小林の門出を見送り、かくて船場なる自宅を出で行きたり。

 この夜、愛敬宅の本陣に、百七十の同士相集まり、今し出発せんとする時、領袖加屋霽堅(かや・はるかた)は、此は御神酒なり、戴きたまへとても人々の中に勧め回りしが、傍にありし小林恒太郎は、氷のごとき刃を拭ひつつ、独語して曰ふやう。今夜の戦に伍列など行はるる者にあらず。昔、武田、上杉の兵にさえ、弱虫はありたり。たとひ鉄石の同志とはいえ、勇士のみとは限らず、その人々の世話までせよとは、出来べき事ならねば、武勇に長けし同志、互に魁すべきのみとて。颯爽たる威風、辺りを払い、吾こそ抜群の働きせんとの意気込み、雄々しき極みなりしと云ふ。

  小林家にては、恒太郎の出でゆきし後、いかに成り行く事かと、一同案じ煩らひ居りたりしに、砲声銃声盛んに起こり、火の手、処々に上がりたれば、いたく気遣い居りしに、翌朝となれば、到る所、前夜の戦闘の噂のみにて、何処には兵士の逃げ来たりたり、何処には将校の斬られゐたりなど、如何にも物騒の極みなるより、家族は一層、小林の身の上を気遣い居たるところに、大木淑真(おおき・しゅくしん)尋ね来たり、昨夜、北岡なる細川邸にて、恒太郎君を見受けたり、談話はせざりしかど、無事の体に見受けぬと告げたれば、家族は幾分か安堵はせしものの、尚、その後の消息を審かにせずしてありしに、二十五日の夜、親族なる庄野景治(しょうの・かげはる)来りしが、庄野は眉毛は火に焼け、頸のあたりもいたく腫れ居たり。少しく病煩て、苦しければ休憩させよとて、そのさま平常に異りしを以て、家族は、必定、前夜の事に関係せしに相違なしと察し、細かに問ひ糾せしかば、庄野も初めて事実を明かし、小林は近津に赴き、身体は無事なりと語れり。 かくて、庄野は小林家に潜みて、二十六日の夜に至り、衣服を更めて、甲佐方面に赴きたり。

 その翌二十七日に至り、営兵警官幾多来りて、家捜しせしも、もとより影だに見えざれば、小林の平生交際ある人々の氏名など問ひ糾したるに、妻マシ子は、この年三月に嫁し来りたるなれば、あまり精しく知り居らざるを以て、妹アサ子、これに答へて、営中にて戦死せる人々の氏名のみを挙げたりと云ふ。

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