【史料】小林恒太郎の出陣と小林及び鬼丸競、野口満雄との割腹①

 小林家に於ける鬼丸競(きそう)、小林恒太郎(つねたろう)、野口満雄三人の、壮烈なる割腹を叙するに当り、先ず小林恒太郎の平生と、出陣の状況を記すべし。

 小林は当年二十七歳の壮年ながらも、太田黒帷幄の参謀として、終始、機密に参与せし参謀の一人なり。性沈毅にして、しかも、威容あり。武技に長ぜしが、人と交はるには極めて円満にして、毫も圭角を露さず。後進の人、能く之に依服せり。容姿の端麗なる、同志中其右に出づる者なく、大阪陣中に於ける木村重成の風ありと称せらる。

  小林は交を郷党の畏友と絶ち、敬神党に加はりしかば、旧友之を含み、機を見て之を陵辱せんと図れり。小林、之を知り、各郷党の士人、遠乗の際、自ら進んで怨友の間に割って入り、大に其威風を示せしかば、衆遂に之に抗する能はずして止みしと云ふ。

  維新以来、小林は、友人古田十郎、深水栄季(ふかみ・えいき)と謀り、郷党士族の能く為すなきを慨し、之と交はるを屑(いさぎよし)とせず。太田黒、加屋等の人々と結託し、以って為すあらんとし、遂に参謀の一人として挙兵の事に斡旋したり。 挙兵の期切迫するや、小林は同志と共に相携えて鹿島宮(近津)に詣で、戦勝を祈る事、週間の永きに及べり。偶々、小林の母、病床にあり。家を出る時、家人に告げて曰く、予は今より近津に籠る筈なれば、母上の病気、少しにても重らせなば、福岡応彦に告げよ、予は直に帰り来らんと。 既にして母の病気平癒しければ、小林は、今は心に懸(かか)ることもなく、十月の下旬に入る頃より、常に外出のみして、夜も遅く帰り来(きた)り。

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