【室町】上杉氏の平井城進出

 関東管領を務めた上杉氏が、高山・小林一族の本拠地、上野国緑野郡の高山御厨(群馬県藤岡市)に平井城を築いたのは、永享10年(1438年)のことだとされる。鎌倉公方・足利持氏と対立した上杉憲実は、それまで居館があった鎌倉の山内館にいることができなくなり、守護国であった上野に退去した。高山御厨の地は、以後、関東の戦国騒乱の中心地となってしまう。

 上杉氏は、足利尊氏の姻戚として勢力を伸ばし、関東管領として、伊豆・上野守護職を世襲。関東府において鎌倉公方を補佐する立場だったが、幕府からの独立傾向が強い鎌倉公方を牽制する役回りが強かった。

 上杉憲実の上野退去は、こうした軋轢の中から起きた事件だった。これが「永享の乱」の発端である。

 持氏は永享10年8月、武蔵国府に出陣する。平井城にこもる上杉憲実への武力行使に踏み切った。「藤岡市史」通史編によると、戦闘は、武蔵・上野国境を流れる神流川沿いの神田・本郷あたりの「藤岡河原」と呼ばれている地域および、平井城・金井城で展開されたようだ。

 一方、京の室町幕府は、持氏の平井出兵を聞くと、関東にいる幕府の「扶持衆」をはじめ、駿河と信濃の守護らの軍勢を動員し、持氏の追討にかかってくる。

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