【室町】明徳の乱を題材にした能「小林」

 明徳2年(1391年)、山名前陸奥守氏清と山名播磨守満幸が足利義満に背いて兵を挙げた「明徳の乱」を題材にした能がある。「小林」という名の作品で、世阿弥の時代より以前につくられ、現存する数少ない「古作の能」として知られている。

 あらすじは、明徳の乱後、山名氏清が陣を布いた京都の石清水八幡に氏清ゆかりの僧が参詣し、合戦の様子や氏清の評判を聞く。名分のない戦を起こした主君・氏清を諌めた小林上野守の亡霊がシテをつとめる「鬼能」(修羅能)である。

 京都を戦場に戦われた内野の戦いで、小林上野守は五百余騎を率いたが、周防国守護大内義弘と組討になって最期は討ち取られている。

 能の終曲では、小林の亡霊が、問われるままに内野での奮戦の様子を語る。最後は「さてこそ小林名将にて、多くの敵を内野の原にて、弓矢の名こそ揚げにけれ」という文句で閉じられる。

 明徳の乱は、一族で全国の六分の一にあたる11か国の守護を務めたことから「六分一衆」とも称された山名氏の勢力を削ぐため、義満の挑発によって起こった。この乱により、義満の専制権力が確立されたことから、南北朝から室町時代に至る画期ともなる戦いだったと言える。

 山名家の重臣、小林上野守の役割は、主君の無謀を諫めたが聞き入れられず、合戦では真っ先に討ち死にしようとする潔い古武士の姿で描かれている。「明徳記」でも、能「小林」でもほぼ同じだ。

 秩序を何よりも重んずる権力側からみれば、反乱軍の一員ながら、結果的に秩序や体制の補強にもなる役回りである。悲劇のヒーロー的でもあり、反発なく人の心に受け入れられていく。

 天野文雄氏の論考「古作の鬼能《小林》成立の背景――足利義満の明徳の乱処理策との関連をめぐって」(森話社刊「鬼と芸能」所収)では、明徳記と同様、能「小林」も義満側の意を体して書かれたと分析。

 内容は、小林の名将ぶりの称賛だけにとどまらず、氏清ら一党に対する哀悼に満ちている、としている。その背景に、明徳の乱を契機に幕府権力を不動のものとした義満の余裕の表れがあるという。

 能「小林」は、岩波文庫版「明徳記」(冨倉徳次郎校訂)の巻末に、彰考館蔵本からとった謡曲「小林」が載せられている。また、論考としては、村田勇司氏の「能『小林』の周辺」(「学芸国語国文学」二五)などがある。

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